まじめ、まじめ、ま・・・

・・・限界がありますから。まじめに。

研究したい分野があります。こんな話してないから、やばい人と思われそうですが、元はこうゆう人間でした。


閑話休題
池谷 裕二という人間がいます。
というのも、記憶の研究者の一人なのですが、浪人時代に出会えた、数少ない人生の目標です。


「九九ができない東大生」


・・・まぁ、嘘じゃないか!といったのが第一印象でしたね。
しかし、その書籍たちは本当に興味深く、未だ無知な自分を、新たな境地に持っていってもらえそうな人の一人と、その当時は感じました。


「頼れるものは自分のみ」


と、自分をかたくなに縛り、盲目に学問だけを見てきた浪人時代でした。
当然、「記憶」をいかに効率的にするのか?は至上命題なわけです。


浪人時代、流出する記憶たちに、痺れを切らした頃に、あの書籍に出会いました。




場所は、名古屋ジュンク堂




「海馬」




ショックでした、いや、人は一度忘れた「当然」を再び認知するときほど、強烈に記憶に残る。まさにそれでした。



「脳は、使えば使うほど成長するんです。」



当たり前、しかし、誰もが、その言葉と、怠惰でいる自分とを比べてしまうものです。



100パーセントの脳はありえない。30パーセントの脳こそがすべて。



緻密な、ネットワーク、美しい神経細胞に、カオス理論。
量子論にも似た、人知を超えた未知の世界でした。


量子論を超えるのは、カオス理論しかない。


そう思い、勉強を続けていたあの頃、しばし、研究者として、算術計算をする未来の私を見たものでした。
その後に訪れた、恩師との出会いも、また、あの頃の力のうねりのなせる業でしょうか。
ピースが1つずつ、規則を作り出していくように、その規則の流れに身をゆだね、猛進していました。



量子論こそ、カオス理論こそ、新たな化学の礎となると。



天才でない、凡人にできる、天才にもできない業を見せてくれん。



私の、生涯の研究課程となるのは、カオス理論です。



【注釈】
あえてケイオスにしませんでした。当時の自分にたいし、ですね。