世当り上手を受けて

僕なりの、学習論ですので。
さて。
僕は今の大学に不満足です。
なぜでしょうか、あの辛かったはずの時期が今は懐かしく感じます。
あの頃は、上しか見ていなかったはずでした。
にもかかわらず、多くの人と交わり、多くの人を知り、精神的に成長した時期であったと認知します。
それは実に充実した時期でした。
あの頃、私は最大限の努力をしたと今でも言えます。
先生の助言は、確かに個人を大学生へ押し上げるものだったのでしょうが、私には


「いかに学ぶか?」


を学んだ気がします。
如何に短時間で、効率的に、問題、事象の真意を見抜くか。
これは、今の僕らにも通ずるところでしょう。


私の出した、効率的な学び方は
「わからなければ聞く。」
です。
そのためには、あの頃、先生は自分の時間を惜しまず教えてくれました。
私も、聞きたいことが山ほどあり、特に化学において、自分なりに作り出した理論と真理を推敲する、またとない機会でした。


しかし、今はどうでしょうか?
教授は本当にそこまで付き合ってくれるでしょうか?
否、今までそんなことをしてくれる人はほとんどいませんでした。
僕が聞いても、とてもまともな回答が帰ってきたことはありません。
教授が作った問題でも、彼らはそれらの問題に対して、わかりやすく解説できないのです。


私を襲うのは失望でした。


ここで、私は、背に腹(単位ね)は代えられないことに気づき、過去問に手を出します。

それはもう一つの効率的な考えのひとつでした。
今でも、間違いだとは思いません。
私は、ツールを選択したに過ぎません。
金のかからない、便利なツール。
僕は、もっと熱くしてくれる授業に出会わない限り、過去に頼り今をやり過ごしていこうと思う。