人間とは、実に奇異な生き物だ。
理解したものをもう振り返ろうとしない。
「それはもうわかったよ?」「それぐらい出来るじゃない?」
では、こう聞いてみたい。
あなたはそこにいますか、と。
あなたというあなたはどこにいるのですか。
肉体を指し私を示すあなたですか、それとも私から見たあなたですか。
学を得うるものならば、光の到達速度の話をしてもいいし、時間軸のずれや、多くの分岐たる存在を持つ、セフィロトの木を連想してもいい。
すでにあなたというあなたは、あなたによって理解されている。
それをもう一度振り返るとき、あまりに虚無な自分に嘆き、そして私が存在する意義を誰かに委ねようとする。
思い出を私に、あなたに。
多くはそれを存在意義とする。
または、お酒や、女、男との人間関係、睡眠、快楽。
それも彼らの存在意義ではないだろうか?
あなたはどれをあなたに選びますか?
私は、私と関わるあなたに「あなたを」与え続けていたい。