存在意義否定。

で、難しい話をしたくなる年頃?とは言いません。
自己満足な文章で、読めませんねぇ。なんとまぁ。




さて、では、存在意義を否定されてしまった人間を考察しよう。
それは実は簡単です。


多くは勘違いなのですが、例えば?



「ねぇねぇ、おにいたん?」



等から始まる、いわゆる「萌」系(あ、結構まじめな論議なんで、出来ればついてきていて欲しいかと)で、男をたぶらかす女の子がいたとしましょう。



・・・いやいるんだよ、秋葉原に。すごくたくさん・・・。多分。確率的には99.999%断言・・・まぁいいか



この子は、この子が本当に思ってることを口にはしません。それによって自分を殺すとしましょうか。会社ならよくある事象なんでしょうがねぇ。



さて、これは存在否定となるでしょうか。




まぁ、唯物史観的に見たら、間違いなく否でしょう。



そうゆうキャラ作りしてるんだな?と認知する男、ああ、かわいい!?と喜ぶ男。私は後者に決まってます。
この時点で、すでにあなたというあなたはそこにいてしまうのです。
それは不可侵なものですし、他人の意識領域を侵さない限り、存在の否定とならないでしょう。



・・・まぁ、何が危険かといえば「あ、私他人を騙せてる?」と勘違いしそうな馬鹿な奴らがたーーーくさんいるからなんですが。
それすらその人であると定義してしまえば、所詮その人はその人なのでしょう。
そして、あなたは「あなた」でないまま「だれかの」「あなた」として存在し会話する。



そして思うでしょう、「誰も私を理解しないと。」



それは当然です、だって、あなたが「あなたでいたいと思うあなた」でいないのだから。
それは実に寂しいというか、こう聞くのがベストですね。





楽しいの?





あなたはすでにあなたなのですから。騙したければどうぞ。わたしはいつも「あなたの」道化としておどり「あなた自身」を「私」にみて騙されてくのでしょうね、「あなた自身」に。



そろそろ、あなたでいませんか?