算数的根性論。

「数学とは、算数の拡張。」


【注意】
この先にはきわめて危険な思想と、少数派に当たるであろう論述がなされます。
精神的に余裕があり、納得できる方だけお読みください。


もう一度言います





危険です。











































算数とは根性だ。
例えば、3桁3桁の計算があるとしよう。
我々、大学生は、それをおそらく電卓でとくであろう。


なぜか?そんなくだらない事に時間を割きたくないからだ。
なぜくだらないか?それは、やろうと思えば9.9999999割以上の確立で正答するからだ。
そんなもんをするぐらいなら、電卓でよい。




当然、そんな便利なものを与えられていない小学生や中学生には、「与えられない」という事象から次のことが重要視される



「ちゃんと計算できますか?お坊ちゃん?」



つまりそうだ。計算ドリルちゃんととけまちゅか?ということだ。



一般的な計算が出来ることが大事(そんなもんは必要ないと大学生はいると思うが、それは貴様が大学生だからだ、馬鹿)。そう文部科学省はのたまう訳だ。



しかし、その義務ともいえるべき計算ドリルを楽する奴がいる。
まぁ、自動的に天才でもない奴は、「計算の勘」(198×197=40000ぐらいじゃね?と予想する力。正確には、言うまでもないが40000-2*200-3*200+6と計算すればいいことは、誰でもわかるだろう。)が養われず、当然、高速な計算が求められるテストにおいては、大敗北を得る事になる。



そして、そうゆう奴に限って、「ああ終わったよ・・・やれやれ」と、ろくでもない数字を業火の闇にほおりすてるのだ。





こうゆうのを体育会系というのだろう。





馬鹿の一つ覚えのように、グラウンドを走る野球部はいったい何を考えて走ってるのか?
まさか走ることに集中してる?!嘆かわしい!!その使われない脳細胞を俺に分けろ。てか、頭かちわって視床下部と、大脳新皮質だけよこせ。




暴言許可の文章は実にすばらしい。心が表れてくる。




・・・話がそれたが、そんな奴にはやはり分数の計算からだろう・・・。と本当に思う。





・・・え?そんな屈辱的なことさせるんですか?





ええ、屈辱と感じる心があれば、テストの点をほかったままになどしませんよ(笑)







本気で鬱になるまで罵ってやりたい気分です。原因を究明するココロと、プライドがなければ勉学など出来ません。
知識がないことに屈辱と、恐怖と、希望を見出さねば、何時までも頭は300万年前の猿に劣るでしょうか。





彼らを救いますよ。ええ、全力を持って。





言葉の暴力に屈せずついてこれるでしょうか?まぁ、それすらも出来なければ、生きてくうえで何も出来ないでしょうね。
大事をなすには、1,2に根性。





人は気の持ち方で、死ぬことも、天才になることも出来る。
私が言うのだ、間違いない。