いや、それは楽しいことだと何時ぞや書いた気がするが、もういいやってぐらい、辛い。
それは、バイトのことなんだが、つまらん今の環境をいかに打破してやろうか思案中。
俺タイプに人間は、生きるのが下手糞で他人に利用されて、かすになったら捨てられる「一回使い捨て型」の人間なために、バイト先でも似たような状況に陥りつつある、今。
うん。どうしようか。
知識はあるが、伝えるのが下手なために、説明したくてもできない。わからないジレンマの連鎖反応。
噛み砕くことの恐ろしく難しい、中学の内容。
僕らにとっては、「当たり前」の知識を、いかに「彼らの常識へ」とかえるのか。
社会ならば、語呂合わせや、いろんな技法が考案されるが、理科、数学ときたら、その手の技法はなかなか無い。
寧ろあったら探したいぐらいだが、うん。
さらに「常識」を「常識」として覚えさせる難しさ。
常識であるがゆえに、なぜ成り立つのか?どうしてそうなってるのか?といわれると辛い。
法則などの多くは「経験則」からつむぎだされ、レポート→論文という形から法則化してゆく。
だが、そこにはやはり「結果」から「統計的」にこうなりました。の連続だ。
無論、高校からは「常識」を武器に問題を解いてゆくことはゆうまでも無いが、中学はその中間地点。
むずかしいったらありゃしない。
目の前で、インパクトのある何かを見せてやれば、それが刺激となり理解よりも、やる気と「わかった」という、なんともいえない感情が勉学意識を推進してはくれるのだが・・・。
そのやる気はどこいったのやら?
理解すれば、あとが楽だというのに、その少しの苦労をしようとしない。
何のために来とんねん。
やる気まで、我々が出させる仕事だと考えるならば、私はその一点において、決定的な弱点を持つ。
「汎用性の無さ」
私のような、オタク型人種は、同種には理解を示す人間がいるが、それ以外ではいない。
同時に、話す内容もそうだ。かみ合えば面白おかしく話すことなど造作も無いが・・・。
ファッション、一般常識、一般人との会話(ああ、あと無言の駆け引きみたいな?)
となると、最高にダメな人種に変わる。
スポーツなどは特にダメだ。
できない人間が、できる人間を教えていくことは本当に難しい。
波長を合わせるにも、話題性の無さがたたる現実がそこにはある。
これを超えなければ、私はいても害になるだけだ。
「使い捨て型人間」
の限界だろうか?