誰しもが、思い出したくもない過去を背負い生きているが、私は背負う量がいささか他人様より少ないのではないかと思うようになる。
とある会合で、聞いた過去に対し、私はそれ相応の対価を払えなかった。
気の利いた一言も与えられなかったし、気が利いたこともしていない。
彼らは、私ゴトキを必要だ、大切だ。というが。
本当にそうかいと?あえて聞いてみようか。
私がいなくとも、何とかなる。私がいなくとも、楽しくできる。
彼らはそうだし、そうあるべきだと思う。
私は、彼らと相対し、何もできない無力な存在だ。
いったい、何の解決になったという?私は何もしていない。寧ろ、何かを破壊し続けているのだと、そう思う。
望まなくとも、私は実は破壊しかできないのではないかと思う。
私を構成する、多元揺らぎよりも、自己崩壊する摂理に任せてしまったほうが、なんと心安いことか。
私は、もう彼らといるべきではないと
私が楽しくとも、そうあってはならないと。
消して疲れたのではない、私がダメなだけだ。