久しぶりに、化学化学〜〜。

1931年、捏造された平和も終焉を迎え、世界は混沌の歴史を歩み始めた。
1931年御前会議・・・・。
この年、帝国は満州事変に巻き込まれる、帝国も崩れ行く世界のくびきからは逃れられないということなのだろうか?
この危機から国を守るため御前会議といたるわけである。
このときの方針、八八艦隊の復活が声高に囁かれた、が非現実的なこの計画、実行すれば経済破綻を起こすことは目に見えていた。
「世界の軍事を真似するだけが大日本帝国をすくいうるや否や?」
天皇陛下のこの一言。このとき日本の方針は決まった。
最先端技術を奨励し、貪欲に科学を軍事に取り入れる。
もともと零細産業に定評のある日本に、これは極めて的を得た判断といえた。
このとき始まった分野がいずれ起こる世界大戦を大きく変え行くのは言うまでもないことである。
例をあげてゆこう
三菱名古屋支部
ここでは、新型戦闘機の打ち合わせがおこなわれていた。
が、このころにあった96式艦上戦闘機は超超ジュラルミンを初めて使用し、世界最高の性能をたたき出した名戦闘機である。にもかかわらず、これより+100KM/h、空戦能力は維持、作戦半径は1800kmという前代未聞の指示を受けていた。
「どう考えても今ある材質を利用するだけでは・・・・この戦闘機は完成しない・・・。」
すでに中島はこの計画から辞退していた。
「やむをえん、科学研究所と京都大学へいってきてくれ・・・。」
このころの科学研はレアメタルを研究しており、最近発見された刀を鍛える点において、重要なポジションを占めるTiが、すばらしい耐食性、耐磨耗性等を持つことが判明、その産業化を研究しているチームへ行ったのだ、そしてもう一つ、京都帝国大学ではビニロンという国産ポリマーの権威がいる。彼に、高強度のポリマーを選んで貰うのだ。
そう、このとき堀越の頭の中にあったこと、最強のケブラー繊維を用いチタニウムを編みこむという前代未聞のことを考えていたのだ・・・・。これ以外に・・・・新型戦「零式艦上戦闘機」の未来はないといえた。

東北帝国大学
ここでは新型レーダー、つまりサブミリ波の研究が。

九州飛行機ではエンテ式の高速飛行機が。

東京帝国大学ではロ式エンジンの研究、そして、エニグマ機関の小型化、電算機の開発

技研ではマグネトロンが。

川崎研では、超熱臨界流体の研究がついにボイラーに応用されつつあった。
一気に加速する技術革新、世界の緊張とともにその加速度は常軌を逸する早さですすみはじめた。


呉では、超極秘戦艦大和の建艦がスタート。
いずれくる、航空機の時代。その世界でのbattle ship。
全長263m
全腹45m
最高速度36kn(艦本式超臨界流体型ボイラー)
主砲46.0cm65口径電磁砲3連装3基
副砲15.5cm65口径電磁高速高角砲2連装8基
機銃40mm70口径超高速4連装回転機銃60基
そして、
レーダー連動式全統一システム初導入


文句なしの、最終兵器は静かに胎動をはじめた。


1941年9月下旬。
二式大型飛行艇となる大型機は、今実験の真っ最中だった。
大型飛行艇としては初めて500キロの大台に乗る予定の高性能機である。
ケブラー編みこみ型チタニウム合金というかなり軽い機体に今、マグネトロン探知機をつみ今、実験のときを待っていた。
エンジンは火星23型1950馬力×4、出力は理論上十分・・・・。
「飛んでくれ・・・・・」
開発人の祈る中、琵琶湖から離水した二式大型飛行艇は一路呉を目指す。


「そろそろ時間だ、深度350mにたもて!」
伊号潜水艦201は呉沖2キロに沈んでいた。
「この深度で見つけられるようならば、われわれの働きどこはなくなるかもなぁ。」
艦長の縁起でもない冗談に、皆苦笑い


そのころ、実験機は上空に差し掛かる・・・・・・・・。


「磁探に感あり!ターゲットは350〜400の深度に有ると思われ!」
「座標おくれ!」


実験は実験機に軍配があがった。これが、新・大日本帝国軍の力のほんの一部である