思い出したら腹が立つこと。

「ねえねえ、昔から気になってたのだけど、何で人は殺してはいけないの?」
この質問を投げかけてきた方がいます。
その時、私はマトモな回答が出来ず、実に中途半端な答えしかいえませんでした。


しかし


そんな質問が出ること事態おかしいじゃないのか?
確かに腹が立つことはあるよ、殺したくなるほど憎い時もあるよ。
でもさあ、それでいいの?
殺して・・・満足?
殺して・・・解決?
殺して・・・嬉しい?
私には、妹と弟がいます。
妹は憎たらしいこともあります、むかつき、殺したくなる衝動も起きたりもしますが、所詮ソコまで。
何故って?
愛してるもん。
弟も然り。家族だもん。
いつも、当たり前のように語り掛けて、そこにいてくれる彼らは何時の間にか俺を支えてるんだ。
家族でなくてもそうだよね。人はさあ、何かのために生きてんだよね。
愛されて、愛して、生きてるんだよね。
その人一人が、その人を作ってるわけじゃ・・・・ないよね。



人の死は、私たちが考える力を持つことによっていろいろと解釈されてきました。



でも!
あなたが死んだら・・・誰かは、あなたのために泣きますよ?
殺したあなたに、その悲しみを代わりにせおうことが出来るのですか?
その人の代わりに慣れるのですか?




絶対無理だよ。




物事すべてに明確な理由が必要なのかと・・・私は聞きたい。
答えが出なくても、していいことと、悪いことぐらい感覚でわかるでしょ?
分からないなら、分かるまで苦しみなよ。
死ぬほど苦しめよ、あがいてあがいて。
そうしないで、ただ答えを求めるなんて




もう言わなくても分かるよね





はあ・・。小六女子の事件以来、人の死についてよく考えます。
小説では当たり前のようにたくさんの人が死にます。
死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで・・・・・



そんなに殺して満足?生きるために殺すことは確かに必要でしょう。それは仕方のないことです・・・だからこそ日本人は食事の前に


「いただきます」


食後に


「ごちそうさま」
を言うのではないですか?