ニコニコ動画などにおける暗黙の了解、ルール。

個人的な思いを書くので批判したかったらご自由に。

まず、経営者はリスクを負え、ということがすべてだ。
現在、私の友人だったものがニコニコのルール作りに参加している。
私は、そのルール作りを無用とは思っていない。だが、「お前に他人を裁くルールを作りうる権利があると思えない」だけなのだ。
ニコニコ動画は受身のサイト経営を行っている。
だから、視聴者の欲があそこのルールの基盤にあるのだ。
それが、ドワンゴとの提携により「経営、社会倫理」も必要な空間になってもいる。
もともと、権利を超えた利用が多かったニコニコは大炎上、削除戦争が起きた。そして今もそれはある。
視聴者はいつの間にかルールの作成者から外れているのだ。
幸い、創作空間として、初音ミクや、絵師、作ってみた、などカテゴリーが充実していたゆえにまだ終わっていない。
しかし、もう視聴者はルール作りに参加できはしない。
社会倫理という大きな概念が導入され、そこには負うべきリスクがある。
しかしながら、視聴者は「アカウント削除」という方法しかリスクはほぼないといえる。
こんなやつらが今、「社会倫理」の上で有用な「ルール」作りをしているのだ。
彼ら自身に負うべきリスクがなさ過ぎる。と俺は思う。

だから彼には散々無駄だといっているのだが、口を閉ざし黙ったままだ。
相手をよりよく知るには積極的コミュニケーションと、非難されるリスクを追う覚悟が必要だと思う。
お前にそれは勤まらないというか、積極的コミュニケーションは「チャット」では出来ない。
文字は感情を隠すからだ。
ゆえに有用と考えるのだろうが、あいにくニコニコは「欲」を忠実に行う空間。
それは果たして有効かどうか。

彼はコミュニケーションを絶った。つまりそれが答えなのだろう。
閉鎖的空間に発展などない。