その問いに答えるもの

私たちは、此岸にたたずみ、彼岸を望みながらも、今を生きることを選択しつつある。
それは悩むことの意味を知るための渇望であったり、後悔や、悲しみ苦しみすらその胸の内に秘めながらも




嬉しくて悲しい物語。




を紡ぐ。
その割合は人により実にさまざまだ。
例えば、生れ落ちてから、水一つ与えられるに死に逝く子供は、悲しみの意味すら知らず、誰かに何かを与えながらも苦しさとともに絶命してゆく。
例えば、あまりに幸福すぎたため、誰かを疎む心を知らず、ただあるがままの己であったために死が隣におとづれようとも、それを祝福と呼ぶ。



それは、数を定義してしまった人間の限界なのだろうか。
すべてが級数で数えられたとき、私たちは彼岸に何を求めているのか?