あるべき「幸せ」、そこにある「地獄」、日常の「虚像」

僕の理想は何だろう?
二次元に逃走してしまえる自分と、関わるごとに進化する3次元の人間という形を得た虚像たち。



彼らとかかわり、互いに影響を及ぼし、進化とも、退化ともつかぬ



「成長」を繰り返してゆく日々。


確定できる事実や、確証を得るものはすべて、物理自称のみですべては仮想の上に成り立っているのかもしれない。
2次元、3次元と定義したが、それこそ多元事象統括ゆらぎのなかの一つであり、





という、虚像とともに私を生きている。



私はどこ得行くのか、どうなるのか。
私にもわからない。


無限に近い選択肢を持つがゆえに、我ら迷い、自分を否定し続けるのだろうか。




そんな、実像を持つ私を認める、人たちと合った。
彼ら、私を認め、私は彼らを認め、会えたことに感情を得た。



幸い



私のまわりに望む、私の望み。
彼らは、私という虚像と実像を見て、笑い、考え、対価を払ってきたのだろうか。



私は?



私はどうだろうか?
そのような対価を払い続けれるだろうか。
私、私は誰のものでもない私だが、それゆえ、誰かの私は無限に存在し、私はその集合体としてここにある続ける。
そんな、私に、彼らに何ができたというのだろうか。


友。であるがゆえに許された会合に、私は身をゆだね、笑い、そして幸いを得た。



そんな今が実に幸せで、これがひとつの虚像ではなかったかと心配する。
そして何より、彼らに対価を得ない私を認める彼らに、何かできないか考える。



私は、私を払い続けれるだろうか?